服に着られているとは?
服を床に置いて、組み合わせるとお洒落に見える。
しかし、いざ自分で着てみるといまいちパッとしない。そんな経験はないだろうか?
自分もそういった経験はある。
服や組み合わせは決まっているはずなのに、どこか自分と合っていない。
服自体はキマっているのに浮いて見える。
それが、服に着られている状態。
服そのものは格好良いという所がポイントの、もどかしい症状。
なぜこのような状態がおこってしまうのだろうか?
さっそく考察を進めていこう。
服に着られる要素
「服に着られる」が起こる理由としては、様々な要素が考えられる。
サイジングができていない
まずは服を着る際に切っても切れない関係であるサイジング。
サイズが合っていないという事は、着る人がその服の特徴を活かせていないという事。だから服のみがわるい意味で際立ってしまい浮いて見える。
着こなすという点では切っても切れないのがこのサイジング。ここでコケるということは「服に着られてしまう」と同じ事。
もちろんあえて元々のサイズバランスをくずして着こなす方法も考えられるが、あくまで応用的なものであり、ここでは省いて考える。
似合う似合わない
どんなに単品で格好良い服でも、着る人によってはどうしても馴染まない場合がある。
簡単にいってしまうと「似合わない」状態。
これには様々な要因があり、着こなしや取り入れ方によって十分カバーできるものの、注意が必要。
体型・顔立ち
身長や体つき、細い箇所と太い箇所。顔立ちについてはイケメンとかそういう話ではない。
童顔や丸顔、肌の色みとかそういった要素。
具体的にみていこう。
顔立ちや体型によって服に着られる
顔立ちや体型というと容姿やスタイルの良いモデルなどが思い浮かぶ。
しかし、必ずしもモデルのスタイルや容姿が良いから服に着られない訳ではない。
※補正は当然かかるが
逆にモデルのような容姿でない方が格好よく映る場合もあるからだ。
例えば自分もよく着るデニムジャケット。ショート丈のボックスシルエットのものが一般的である。
この場合あまりに細身(一般的にモデル体型と言われるような)の人が羽織ると非常に貧相に映ることがある。
ヒョロヒョロに見えて格好よくない。ただそこにあった服を着ている状態。
逆にがっちり体型の方が着ると骨太な印象で格好良く馴染んでいる。
こんな状況も十分ありうる。
童顔のイケメンに渋いルックスのオイルドジャケットを着せても少し違和感がでてしまったりもある。
モデルのような容姿だからといって着こなしも万能ではないという訳。
「服に着られている」状態は平等にありうる。
服に着られないようにするには
では、どうしたら「服に着られている」状態を避けることができるのだろう?
サイジング
やはりここでもサイジング。
サイズバランスが整っていない場合、どんなに素晴らしい服を着ていてもその魅力は半減する。そして、着ている人自体が引き立たつ事もない。
サイジングに十分注力し、着こなしていく事は重要になってくる。
同じアイテムを選ぶとしても、いくつかのサイズを比較したり自身のコーディネートによってサイズのセレクトを変える。
もし流行がゆったりしたオーバーサイズであれば、状況によってピタピタのジャストサイジングは避ける等の柔軟性も必要だろう。
このようにサイジングを徹底することで服に着られない。
そのまま真似しない
どんなに着こなしがまとまっていても場面、場所にそぐわない服を着ている場合、その状況は浮いて見える。
どんなに着こなしや素晴らしい服でもそのまま真似しない。
色違いの方が良いのでは?
かしこまりすぎていないか?
サイズは適正か?
手持ちの服にどう合わせるか?
場に合っているか?
最終的に自分に落とし込み消化した上で使う。
似合う服を選ぶ
似合わない服を着るとどうなるのだろう?
似合わない(馴染まない)服を着ている場合は服のみが浮いて見える。
顔色がわるくうつる。スタイルがわるく見える。
服の良さを活かせないなど多くのデメリットが生じることとなる。
それとは逆でよく似合い馴染んでいる服を着ている場合違和感は生まれない。
似合うカラー、似合うテイスト。
もちろんそれだけに縛られることはないが取り入れることで自身によく馴染み服を魅力的にみせる事が可能。
まとめ
最終的には自身を知るという事に尽きる。
自分に沿った服、場面を考えた着こなし。
お洒落な人は自然にそれができている。
もう服に着られることはない。
他人の服ではない。自分の服なのだから。